私自身の話になりますが、
親が転勤族だったせいもあり、
転校するたびに人と接することに不安を覚えながら、
育ってきました。
そのような環境だったせいなのか?
分かりませんが・・・
人見知りが激しく、
常に人の顔色を伺いながら、
接してきました。
今ではすっかり、
人見知りはしなくなったものの、
人の顔色を伺う、
という部分については、
今でもそういった傾向があり、
例えば何かを人に伺いを立てる場合、
聞こうとする相手のタイプや、
またその相手が、
今どういった環境に置かれているのか?
(例えばその相手が今は忙しくて手が離せないのではないか?など)
そんなことに配慮して、
声をかけるようにしています。
しかしそれが、
本当に正しいのか?
というのは分かりません。
自分では配慮したつもりでも、
相手にとっては最悪なタイミングだった、
ということもあるかもしれませんよね?
ですが。
常に相手の立場に立って接する、
ということはとても大切だと、
私は考えています。
目次
気遣ったつもりが実は「できていない」
ところで、
人にやたら気を遣う人っていますよね?
何も考えず、
自分勝手に振る舞う人よりは、
断然、
気を遣ってくれる人の方が、
「いい人だな」って思います。
しかし・・・
気の遣い方を間違えると、
人によっては、
それが「うっとおしく」感じ、
相手の事を思ってやっている行為が、
空回りしてしまうことって、
多々あったりします。
人への気遣いや気配りというのは、
相手の状況などに配慮して、
その時の空気を読むことが、
とても大切なんです。
ただ気を遣うだけでなく、
うまく空気を読みながら、
タイミングよく、
そしてさりげなく、
気遣い・気配りしていきたいです。
トラブルは全部自分のせい?そう思っていても口に出さない!
ところで、
人に過剰に気を遣う人の傾向として、
トラブルが起きた時、
それは「自分のせいではないか?」
そう考えてしまいがちな人が多い気がします。
しかし。
本当に自分のせいだったとしたら、
それは間違いなく、
「あなたがやった」と、
言われます。
実のところ、
私もその傾向があるのですが、
私の場合、
その起きたトラブルが、
自分が対処できる事柄でない場合なら、
なるべく自分からは、
「どうしたの?」や、
「私のせい?」などという、
言葉を発しないようにしています。
そんな言葉をかけたとしても、
それって実は無意味なことで、
自分自身が、
そのトラブルを解決する能力がなければ、
そんな言葉をかけられたところで、
ただ「邪魔になる」だけ、
なんです。
ところが、
人に気を遣いすぎる性格の人は、
そういったトラブルを見かけると、
「自分のせいではないか?」
という思いから、
声をかけてしまったり、
またトラブルの対処をしている姿を見て、
「大変そうだから手伝おう」
そんな思いから、
つい手を出そうとしてしまいます。
そうすることで、
気遣って行ったことなのに、
それが逆に迷惑となって、
やった行為が空回りしてしまいます。
人と一緒に仕事をやる以上は、
人の事を気遣う気持ちは大事です。
しかし、
気の遣い方やタイミングを間違えると、
その行為が空回りしてしまい、
結果的に、
迷惑をかけてしまうこともあります。
本当の気遣いというのは、
ただ漠然と「大変だから」といって、
手をだしたり声かけるだけでなく、
起きた事柄に対応できる能力がないのなら、
自分の能力について、
「申し訳ない」と思わずに、
今自分が出来ることだけを、
淡々とやって、
ただ状況を見守る、
ということも、
人に対する「気遣い」だと思います。